吾は幸福のチャンピオンである
自分は世界で一番幸せだという自覚はある。
いや、厳密には、世界で一番幸せな人たちの1人だと言った方がいい。
本人が幸せだと思っているのだから、理由も根拠もいらないのである。
よく幸せはお金じゃないと言われる。幸せはじゃない人には、お金を持っている人がこれを言うと綺麗事に聞こえるし、お金を持っていない人が言うと負け惜しみに聞こえる。僕にもそう聞こえた。
そして、幸せはお金で買えるとお金持ちが言い切れば、嫌味に聞こえ、お金のない人がそれを言うと悲しくて聞いていられない。
ただ僕は思う。ベトナムのホーチミン空港を降り立ったとき、いつも思うのだが、希望に満ちたあのベトナム人たちの満面の笑顔を見ると、彼らの底知れぬパワーを感じる。インドの貧しい貧困街で遊ぶ子供たちの笑顔は、日本を含む先進国の都市で見てきた子供達のそれと何ら変わらなかった。
そう思うと、人間は物資的に貧しい事に不幸を感じるのではなく、他人と比較して劣っている気がした時、そう感じるのではないかと思う。
他者との比較で、あいつに勝っている俺は、あいつより幸せだ、マウントを取られた、だから俺は負けた、などという感覚が、人間の心を狭める。
幸せはいつでもなる事が出来る。そして自分を説得するその理由は、探せばいくらでもある。
5体満足である。まだ若い。素晴らしい家族や友達がいる。最高ではないか。それこそが一番素晴らしい。そう思えたら、最高なのに。
でも人間は鈍感だ。だから、既に持っているものの幸せの実感は逓減するらしい。ものは新しく手に入れた時、失った時にのみ、その尊さが感じやすくできている。
だから頭良く生きなきゃならない。自発的に、今与えられているもの、以前苦労して手に入れたものを有難く感じる事。そして決して他者との比較で卑屈になったり、奢らぬ事。無限の承認欲から脱する事。自分は自分らしく誇り高く生きる事。この辺りが、簡単そうでなかなか出来ない課題である。